プロ野球(主にホークス)考察ブログ

野球の記事には旬と味わいが必要だ。旬を捉えるのは新聞記者にお任せするとして味わいの部分を探求していくブログです。

育成選手

こんばんは。久しぶりのブログ更新となりました。

最近はホークス選手のオフの番組を見て満足する傾向にあるので久々の更新です。

 

千賀・甲斐を筆頭として最近は「育成のホークス」というのが板についてきた感がありますが、その中でも話題となっている育成選手の歴史を振り返ってみましょう。

 

はじめに、育成選手とは各球団決められた支配下登録枠(69名)には入らない枠で、支配下登録の選手より給料も安く、「将来化けるかもしれない」選手を確保しておくための制度です。球団によってはこの制度を利用しないところもあります。(ハムなど)

 

さて、千賀や甲斐が指名されたのが2010年ドラフトですが、8年前のドラフトになりますが、育成ドラフト自体は2005年から始まった制度でした。

まずは簡単に2005~2009を振り返りますが、この時期はちょうどソフトバンクホークスが誕生した時期、かつ2軍で時間をかけて育成というよりはダイエー時代の主力選手の移籍や衰えもあり一軍のほうに注力するのが精いっぱいな時代で計8名が指名されました。(うち、2008ドラフトが6名)

 

少し余談を挟みますがこの時期で育成選手として支配下登録を勝ち取ったのは、西山・小斉、山田、二保、猪本選手で5/8なのでなかなか高確率です。

西山は球が速いものの決め球とコントロールに難があり大成せず、小斉は左の長距離砲として大きな期待を受けましたがこちらもバットコントロールに難があり大成せず、ただし楽天に移籍するなど息の長い選手でした。

そして、山田はヤクルトに移籍し、二保は一昨年見事な活躍を見せ、今年は怪我でリハビリの日々でした、来年以降の復帰に期待、猪本もロッテに移籍し今年引退しました。ちなみに堂上選手は何か問題を起こしたような・・(トオイメ)

これらの選手が支配下登録された時代はホークスというチーム自体もあまり強くはなかったということもあって、ドラフト下位で指名される選手に一歩届かなかった選手が安い給料で一旦契約されるイメージした。

 

そんな状況が大きく変わったのは2011年の3軍制の設立です。

ちなみに2011年はホークス優勝。いよいよ黄金期を作っていこうと本腰を入れたタイミングだったように思います。(ただ、この年のオフに川崎、杉内、和田、ホールトンが抜けるという緊急事態があり、2012と13は優勝を逃しますが)

そのため、2010年以降は各年6・7・4・4・8・5・6名とコンスタントに育成選手を獲得しています。特に2010、2011年ドラフトは若干「3軍の数合わせ」として指名しているケースもありました。

そして、この3軍制の開始には恐らくもともと2軍本拠地としていたオンボロ雁ノ巣球場から現在のタマスタ筑後への移転計画も具体的になってきて、3軍を抱えてもまずは施設面で賄えるめどが立った時期でもありました。

 

そして3軍制について試合や運営に関するノウハウも溜まってきた2014年以降は、高校生の素材型を主体とした指名を続けています。

確率でいえば初期に比べ支配下選手登録を勝ち取る可能性はどんどん低くなっていき、選手は強烈な競争に晒されるわけですが、だからこそ千賀や甲斐など球界を代表するレベルの「掘り出し物」に巡り合えたのでしょう。

 

今や「育成のホークス」ですが、ここまで来るには球団の戦略があり、それの延長線上に今があることがおわかりいただけたでしょうか。

 

それにしても改めて振り返ってみるとこれだけ壮大な絵を描くこと、そしてそれを実行・実現する力が備わっていることは一企業として純粋に尊敬しますね。

 

本日はこの辺で。